About 月詠み
作曲家ユリイ・カノンが主宰する音楽プロジェクト。
2020年10月に前身となる同名バンドを発足し、2021年より現在の活動形態となる。
ユリイ・カノンを唯一のメンバーとし、作品に応じて制作メンバー、歌手、奏者を編成。様々なクリエイターと共に物語と音楽を発信するプロジェクト
1st Story 『だれかの心臓になれたなら』
月詠み最初の物語は、ユリイ・カノンによるVOCALOID楽曲「或いはテトラの片隅で」や「だれかの心臓になれたなら」等で描かれてきた、“ ユマ”と“ リノ”、二人の音楽家を主軸とした物語をベースに、新たに再構築したもの。 楽曲や小説を通して、物語を表現している。
あらすじ
シンガーソングライターとして若くして名を得たリノ。
栄光の日々の中にいながらも、拭い去れない暗い過去に苦しんでいた。
それはかつて、シンガーを目指すきっかけとなった人物であり、目標であった恩人、ユマの死。
ユマの死から五年以上の歳月を経ても、その傷は癒えないでいた。
そんな中、夢であった初の大きなステージ、日本武道館公演を発表する。
公演に向けた準備をしていた頃、一通の手紙が届く。
それは亡くなったはずのユマからだった。
真相を確かめる為、過去との決着をつける為、リノは数年振りに故郷へと帰る。
『生きる理由を見つけるというのは、同時に死ぬ理由も見つけるということを、その頃の私は知らなかった』
彼女と過ごした日々と、彼女の人生を通じて、彼女が遺した言葉の意味を探していく。
登場人物
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- リノ
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- ユマ
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ユマに憧れを抱きながら音楽の道を歩み始めた”リノ”の目線で語られた1st『欠けた心象、世のよすが』、道なかばでその命を失いながらも、いつまでもリノの心の中に存在し続ける”ユマ”の目線で語られる『月が満ちる』。物語は果たしてどんな結末を迎えたのだろうか。
ストーリームービー
ストーリー
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「真昼の月明かり」(1st mini Album『欠けた心象、世のよすが』)
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リノが初めてユマを綴った楽曲。
彼女のことを書いた作品に値がつくことに、彼女を使ってお金儲けをしていることに、行き場の無い複雑な感情を抱いていた。 - 楽曲を聴く
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思い出の中に棲まう、一人の少女のこと。
その刹那は、過去に囚われながら生きる私にとっては永遠であった。
カーテンの隙間から溢れる無遠慮な朝日は、瞼を閉じても眩しく、私を現世へと引き戻す。
眠りは死の疑似体験だ。数時間もの間、自分の意識を失くし、意思も存在しない。それは生きていると言えるだろうか。思うに〝眠り〟と〝死〟の違いは、目を覚ますかどうかというだけだ。
幸せな夢でも見ながら、いっそ朝が来なければと思う。それでも結局こうして、うんざりする程に清々しい朝日を浴び、懲りもせずこの世に帰ってくるのだ。
この現実は、ずっと悪い夢を見ているようだった。目を覚ましたら、私はまだ高校生で、今までのことは全部夢だった──なんて風にならないかと馬鹿げた空想をする。
ただ生きているだけで、何も残らない日々。これといった熱意もない仕事で得るお金の使い道は、最低限の生活にかかる費用。そして、高校生の時から惰性的に続けている音楽活動の資金。
──私は何の為に生きている?
──私はなぜ音楽をやっている?
そんな自問が毎日のように頭を巡る。当然、その答えが出ることはない。
気が付けば、あれほどまでに私を突き動かしていた純然たる何かが、いつの間にか薄れてしまっている。大人になるというのは、そういうことなのだろうか。そうして、何もかも昔のことだと、甘んじて受け入れてしまうのだろうか。
でも、今でも私の欠けた心象を埋めるのは、希望に満ち溢れたあの日々の情景。鳴り止まない音楽。
こうして思い返すと、どこかの遠い時代の世界のことのような、懐かしい物語のようでもある。私が出会った一人の少女と、少女と生きた日々のこと。
彼女は大切な友達でもあり、目標や憧れの対象でもあり、どこか姉妹のようでもあった。
今となってはその眩しさに目を細めてしまう程に輝かしい時代。
かつての私が、今の私を見たら何を思うだろうか。
今日、私は初めて仕事を無断で欠勤した。携帯電話の電源を切り、外界の何もかもをシャットアウトした。不思議と罪悪感はなかった。妙な解放感があった。段ボール箱に入れっぱなしになっていた、学生時代の思い出の音楽CD達を引っ張り出してきて再生していった。
そんなことをしている内に、いつの間にかもう昼になっていた。仕事をしている時の何倍も時間が過ぎるのが早い。ベランダの手すりに寄りかかりながら、うつけたようにぼんやりと景色を眺めていた。ただただ時間が過ぎるのを待つように。
寂しさを憶える程に澄み切った青い空。
その青く染まったキャンパスの上に、一滴のインクがぽつりと落ちて滲んだように、微かな白が浮かんでいる。
真昼の月。
それを見る度、在りし日の彼女と、彼女の言葉を思い出す。
そして、あの日からずっとあったはずの突き刺さるような胸の痛みが、段々と薄れてきていることに気付いて、どうしようもない虚しさに襲われた。
私は、今でさえ彼女の死を受け容れられていない。もう二度と会えないのだと頭ではわかってはいるはずなのに。それを受け容れてしまえば、本当に彼女は消えてしまうような気がしているからだ。
私はまだ彼女にさよならも云えていない。
ユマ、私はどうすればいい?
どんなものもいつか終わりがあることはわかっている。
それでも、止め処なく流れていく時間に、この記憶が攫われてしまうことが許せなかった。
だから私は彼女を綴り始めた。
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「生きるよすが」(2nd mini Album『月が満ちる』)
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路上にて、リノが初めて聴いたユマの歌。
ユマの歌は、リノの胸を真っ直ぐに貫いた。 - 楽曲を聴く
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高い建物に四方を囲まれた、都市部の狭い空の下。
大気には初冬の気配を醸し出す牡丹雪が静かに舞い、積もることなく溶けていくそれが地面を僅かに濡らしている。
たくさんの人が行き交う、百貨店の前の小さな広場。そこで私は初めて彼女の歌を聴いた。
透き通るような声をしながらも力強く、伸びやかで美しい歌声。
冬の冷えた空気を震わせながら伝うそれが、私の耳を通り躰中に染み渡っていく。
学生服を着て、アコースティックギターを弾きながら歌う、美しい長髪の少女。
私はその少女に見覚えがあった。以前通学時に出会った子だ。彼女はどこか神々しくて、その時の私には彼女が自分と同じ人間とは思えなかった。
そんな風に思えてしまう程、彼女の歌と曲は、私の胸を真っ直ぐに貫いた。
後に彼女から、あの時の歌の名前を教えてもらった。
『生きるよすが』
その名の通り、それは私にとってのよすがとなった。
彼女に憧れて自分も音楽を始めて、気が付けばもう6年程が経った。
かつて彼女は、私に《リノ》という名前をくれた。
音楽家としての私の名前。それはもう一人の私。それは本当の私。それは偽りの私。
その名前が今、街頭の巨大なディスプレイに映し出されている。私はそれを見上げながら、物思いに耽っていた。
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「新世界から」(1st mini Album『欠けた心象、世のよすが』)
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二人の邂逅、夢、焦燥。
- 楽曲を聴く
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彼女と過ごした一年半の出来事が、映写機からスクリーンに映し出されるみたいに鮮明に目の前に浮かぶ。その記憶の映像は、私と彼女を少し離れたところから、ファインダーを覗くように眺めている。
襟首辺りの長さで切り揃えた髪型の少女と、濡れた鴉の羽を思わせる美しい黒の長髪をした少女。
あの日――彼女と初めて一つの音楽を奏でた日の情景。
二人は一台のピアノの前に並んで座って鍵盤を鳴らしている。
二人が奏でる追走曲(カノン)。
彼女の旋律を追いかけたその日から、私はずっと彼女を追いかけている。
私にとって、新しい世界の始まりはあの時からだった。
歩き続ければ暗がりを抜けられる。走り続ければ月にさえ近づける。願い続ければ何もかも叶うと、一片の迷いもなく信じている。
私の目には、彼女がそんな風に映った。
挫けることを知らず、ひたすらに音楽に心血を注ぐ彼女は、眩しくて、気高くて、美しかった。
私は、彼女のようになりたかった。
彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。
いや、今でも彼女は私の世界の全てと言える。
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「ヨダカ」(2nd mini Album『月が満ちる』)
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中学時代にユマが最初に作った曲。
彼女もまた、憧れこそが始まりの一歩だった。 - 楽曲を聴く
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その頃、私は二つのものに憧れた。
憧れの一つは音楽家で、もう一つは小説家を志す同級生の男の子。
──創作というのはこの世で最も美しいものだと、彼は言った。
その言葉は不思議と私の心を震わせた。
私はその言葉を理解したかった。
あの人と出会うことが無かったなら、きっと私は狭い籠の中が世界の全てだと思い込んでいた。彼の姿は、まるで遠い空を駆ける鳥のように自由に映った。
誰よりも遥か遠くを目指して羽ばたき、その身を燃やしながらも、空を昇り続けた。
そうして、暗闇の中にあった私の人生に、初めて光を齎した。
仄暗い夜の瀬に灯った幽かな光。それは私だけしか知らない、世界のよすが。
一度は辞めた音楽をまた始めたのは、彼のように特別になりたかったからだと思う。
そうして私は、ユマとして生きていくことを決めた。
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「アメイセンソウ」(2nd mini Album『月が満ちる』)
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雨。焦燥。羨望と嫉妬。
ユマはリノの才能を羨んだ。 - 楽曲を聴く
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車窓から見えるのは、雨に濡れた街。じめじめとした狭苦しい箱の中から解放されるまであと数分。
居た堪れない気持ちと、波立つような焦燥感。
ギターケースのショルダーベルトを握る手が強まる。リノの歌を思い出していた。
自分は特別なんかじゃないと、改めて思い知る。リノの才能の前に、私の凡庸さが浮き彫りになる。彼女は謙遜するけれど、それすら私をますます惨めにさせる。もちろん、これは私の身勝手な感情で、ただの羨望と嫉妬。
彼女が持つ感性、メロディセンス、歌声。どれも理想的で、それを同い年の人間が持っているというのは、やはり妬ましい。彼女の前ではそれを外に出さすにずっと誤魔化してきたつもりだけれど。
私は彼女が嫌いなわけじゃないし、むしろここまで心を通わせることのできる人間は他にいない。身近な存在だからこそ、私がより憐れに思えてしまうんだろうな。
努力が必ず報われるわけがない。
誰よりも良いものを、多くの人に認められるものを、そんな風に考えるようになったのはいつからだろう。
評価なんて気にせず、作ること自体に充実感を覚えていた昔の自分からすれば、こんな在り方はとても醜いと思うだろうな。
リノが好きだと言ってくれた私のあの曲も、なんの俗念もない、ひたすらに切実で陰日向ない夢や理想を詩にしたんだ。きっと、そういうものにこそ何か光るものが宿るのだろう。
六月。梅雨の季節。いつもは気疎いと思うこの雨に、私は安堵する。
傘で自分を隠していた。
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『花と散る』(1st EP『アナザームーン』)
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挫折。人の死。失意。
ユマは己の人生を呪いながら堕ちていく。 - 楽曲を聴く
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幸せとはなんだろう。
愛を得ることだろうか。富を築くことだろうか。
少なくとも私にとってはどちらでもなかった。
思うに、本当に幸福は〝何が幸福なのか〟と問うことのない人生なのだ。
まあ、幸福に気付かないというのはある意味不幸だとも思うけれど、どうすれば幸せになれるか──なんて考えている人間よりはよっぽど幸せだ。
何かに憧れて、特別になりたくて、その一心でここまで努力してきた。それが出来たのは、いつか報われることを根拠も理由もなく馬鹿みたいに信じられたからだろう。
特別になりたいだなんて、それこそが特別ではない人間の考えること。
彼女は私を〝憧れ〟だと言ってくれた。
そんな彼女の屈託のない眼差しを、真っ直ぐに見れなくなったのはいつからだろう。
求めるから届かない。得るから失う。身の程知らずの私が、夢を見た結果だ。高くへと這い上がる程、落ちた時の痛みは増す。
こんな思いをするくらいなら、最初から夢なんて見るんじゃなかった。
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「白夜」(2nd mini Album『月が満ちる』)
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絶望の先。
ユマは自分の人生の意味をリノに託す。 - 楽曲を聴く
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幸せの代償。夢の対価。私の人生で払えるものはもう無い。
身の程知らずの私が、夢を見た結果だ。高くへと這い上がる程、落ちた時の痛みは増す。
創作を始めてからの五年間、そこからは私の人生の全てと言っていい程、色んなことがあった。嬉しかったこと、悲しかったこと、本当にさまざまなことがあった。でも無駄なことはなかったと、そう思いたい。
生きる理由はもうないこんな世界だけど、生きた意味はあると言える。
音のない世界。自分の声すらも聴こえない。
生きる理由はもう無い。
リノ。あなたは自分の才能を信じていないけれど、私にはわかる。いつか世界があなたを見つける。だから、どうか歌い続けて。
私は──音楽の神様があなたを導く為のきっかけだった。そう、神様の思し召し。なんて考えるのはどうだろう。
それなら、私の人生にも意味があったと思える気がする。
あなたが歌うなら。
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「こんな命がなければ」(1st mini Album『欠けた心象、世のよすが』)
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断ち切れずにいたユマへの想い、変えられない過去の後悔。
それも自分の人生の一部だと、リノは受け入れる。 - 楽曲を聴く
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創作というのは、この世で最も美しいものだと思う──と、いつか彼女は言った。
今なら、その言葉の意味が少しはわかる気がする。
彼女の意志に寄り添うように、そして彼女を少しでも理解したくて、音楽を続けてきた。
そこに何か救いがあるのだと思い込んでいた。
私自身に、本当の価値なんて無いように思う。所詮は彼女の真似事をしているだけ。彼女に倣うだけの、偽物だ。
書き込んだ五線譜の中にも、詩を書いたノートの中にも、私はずっと彼女の面影を見ている。
ただ彼女を追いかけているだけだ。
リノという存在は彼女が作ったものと言ってもいい。
音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのはきっと彼女の方だ。
なぜ彼女ではなく、私が生きているのか。今もわからない。
気が付けば、また彼女の歌を書いている。もう彼女も呆れていると思う。
でも、それでも、何度だって彼女を綴る。
全てが過去に、思い出になって遠ざかっていく。時が経つにつれ、まるで何もかも最初から無かったみたいになるのが怖かった。
悲しみを乗り越えるだとか、前に進むだとか、私にはどうだってよかった。
何とも思ってない、なんて自分に言い聞かせて、そうして大人ぶったところで、結局全部嘘でしかないし、もっと大切なものを失くしてしまうような気がした。
言いたいことなんて本当は何も無いのかもしれない。このどうしようもない気持ちが、行き場のない思いが、無様に命が叫んでいるだけだ。
全部嘘なんだ。偽物なんだ。こんな唄を歌う度に、彼女の言葉は私の爛れた内殻を突き破っていく。
どんなに進んでも、彼女はなおも遥か先にいる。出会った頃からその差は少しも縮まっていない。
彼女と初めて会った日のことを、私はよく覚えている。
雨の日のバス停。傘を差し出してくれた彼女。
あの日の天気予報を知っていたら、あの時間のバスに乗らなかったら、それだけで全てが違っていたのかもと、今になって思う。
それは間違っていたのだろうか。正しかったのだろうか。
正解なんてない。きっと彼女ならそう言う。
そして、間違いだってないのだと。
彼女と会わなければ、あの日は何の変哲も無い、ただ過ぎていくだけのありふれた日常の一片でしかなかったと思う。
歩き慣れた道から見える景色も、聴き馴染んだ曲の歌詞も、よく知っている物語も、彼女と出会ってからは違ったものになった。
そして、彼女を失ってからも。
ねえ、ユマ。
こんな命がなければ、私達は最初から何も失うこともなかったのかな。
傷も、過ちも、悲しみも、苦しさも、嘘も、痛みも、知らないままでいられたのかな。
こんな命がなければ──。
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『月が満ちる』(2nd mini Album『月が満ちる』)
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ユマが果たせなかった夢の続き、
リノが見つけた答え。 - 楽曲を聴く
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『生きる理由を見つけるというのは、同時に死ぬ理由も見つけるということを、その頃の私は知らなかった』
彼女の日記に書かれた言葉が、頭を巡る。
私よりも──いや誰よりも、ずっとずっと強い意志と大望を抱いていた。
彼女の言葉を借りるなら、それは醜い程に美しいもの。
けれど、その道は失われた。
私が彼女と同じ境遇だったら、どうしていただろう。同じく終わりを選んだだろうか。
生きている限り、彼女の気持ちを本当に理解することなんて出来ないのかもしれない。
わからない。
でも、
それでも、
ユマ、あなたに生きていてほしかった。
音楽なんてどうだっていいじゃないか。
私は──どんな世界も、あなたがいるから生きていたいって思えたんだよ。
ユマがずっと言ってた、陽当たりの良い大きな家を建ててさ、庭にオオアマナの花畑を作ろうよ。前から行きたがってたリフー島の綺麗な海を二人で泳ごうよ。私には難解でよくわからなかったあの映画、あなたが楽しみにしてた続編が今年ようやく公開されたんだよ。
猫と暮らしたいとか、海外旅行に行きたいとか、小説を書きたいとか、月面を歩きたいとか、人生にはいくらでも楽しみがあるじゃないか。
でも、ユマにとってはそうじゃなかった。どんなものも、音楽には敵わなかった。
それが『生きる理由が死ぬ理由になる』ということなんだね。
彼女が遺した最後の作品。
歌詞もメロディも途中までしか無い、未完成の曲。
その歌に、私は彼女を綴る。
その曲の名は、
『だれかの心臓になれたなら』──
私は、彼女とは違う生き方をする。
誰かの為でも、自分の為でもいい、
私は生きる。
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『春めくことば』(1st EP『アナザームーン』)
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十六歳の春、リノが初めて作った曲。
憧れはずっと美しいまま。 - 楽曲を聴く
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『創作というのは、この世で最も美しいものだと思う』
彼女の言葉が、いつまでも頭の中を駆け巡っていた。音楽を始めたばかりの私には、その言葉の意味を確と理解できる境地には辿り着けていない。
彼女の指南を受けて数ヶ月。ギターがある程度弾けるようになって、見よう見まねで曲作りにまで手を出した。そして、音楽を始めてからより一層彼女のすごさを身を持って感じていた。
私が想像していたより、ずっと遥か遠くに彼女はいる。ただただ彼女に近付きたいというその一心が、私を突き動かしていた。
そもそも、努力すればどうとでもなるものではないのかもしれない。この道をどれだけ進んで行こうと、同じ場所に辿り着くことは出来ないのかもしれない。
荒野を抜けた先が断崖だったとしたら、そこで立ち往生するだけじゃないのか。その崖から見える次の地へ向かえるのは翼を持つ者だけとなる。それが彼女のような人間。翼を持たない人間が、同じように羽ばたこうとしても無意味だろう。
でも、彼女だって最初から飛べたわけじゃないはずだ。夢に精魂を傾け、翼を広げ、何度も何度も地に落ちようとも、それでも羽ばたこうとした。その強い意志や昂る気持ちを力に変えて。だからこそ、彼女は気高く美しいのだろう。
音楽で何かを表現したいというような意志を、世の音楽家達はみんな持っていると思う。
恐らく、私はそれを明確に見つけられていない。いや、あるにはあるのだけれど、それに自信を持つことが出来ないのだ。
たかだか十六歳の私にはわからないことばかりだ。でもそれを言い訳にはしたくない。だって、彼女が中学生の頃に書いたという曲は、プロと比較しても引けを取らないものに感じた。
どんなものもいつかは古びていく。過去になる。今こうして過ごした日々のこと。こんな風に何か想いを巡らせたこと。いつかは褪せていってしまう。私はそれを悲しいと思うと同時に、美しいとも思う。
少し前の私なら絶対こんな風に考えることはなかった。変わったのは多分、彼女と出会ってからだ。
私は、彼女のようにはなれないかもしれない。
正しい生き方がどうとか、そんなものは知らない。どう間違っていても構わない。自分を騙して大人にはなりたくない。
現実から目を背けているだけなのだというのはわかっている。
まだ夢を見ていたかった。
今だけは。
-
Other
リリース情報
1st『欠けた心象、世のよすが』完全生産限定盤(CD)に同梱された「心象録」。
そして、2nd『月が満ちる』完全生産限定盤(CD)には続編となる「廻想録」が同梱されており、
この二つの物語を読んだ時、「だれかの心臓になれたなら」の全てを知ることになる。
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1st mini Album『欠けた心象、世のよすが』
2021.9.8 Release
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2nd mini Album『月が満ちる』
2022.8.17 Release
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1st Story「だれかの心臓になれたなら」の“アナザーストーリー” として展開された作品集。
物語の世界線を広げ、補完し、より深く作品を考察できる作品になっている。1st EP『アナザームーン』
2023.9.20 Release