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月詠み
2nd Story
「それを僕らは神さまと呼ぶ」
Chapter:002 ナラティブ

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2nd Story

Chapter:002ナラティブ

照那が阿形千春と再会したのは十月の下旬。あの日から数日が経過した頃。それは突然だった。

放課後。学校の駐輪場。照那はいつも通りの場所に停めていた自転車を出して、サドルに腰掛ける。ペダルを踏み込もうとした瞬間、後ろの荷台に突然何かが乗っかった感覚がして、驚きながら振り返った。
「やあ。数日振り」

千春はさも当たり前のように荷台にまたがり、手を挙げながらそう言った。
「あ、阿形……」
「このまま行って」
出口の方向を指差して促す。
「二人乗りは道路交通法違反──」
「今はそんなこと気にしてる場合じゃないの。行ってちょうだい」

本当にこの女は──と、胸中で千春を軽く罵った。

千春に急かされ、言われるがまま照那は自転車を漕ぎ進めた。教師達に見つからないように慎重に、そそくさと学校を後にした。
「で、どこに行きたいわけ?」
「駅」
「どの駅?」
「それがわからないの」
「……はぁ?」

そんな会話をしながら照那は行き先もないままただ自転車を漕ぎ進める。

千春は少し間を置いてから、再び口を開く。先程よりも真面目な声色で。
「今日もまたどこかで誰かが死ぬ」
「…………また〝予知夢〟か」

冗談か、本気か、判断するにはまだ材料が足りない。ただふざけているだけの嘘かもしれない。でも、〝もしかしたら〟ということもある。千春が言うように、本当に誰かが死んでしまったら、それは見殺しにしたのと同じになるんじゃないか。そう考えると、確かに無視はできない。
「その……、駅ってのと他に何か情報は? そもそも、なんで今日だってわかるわけ?」

照那がそう言うと、阿形は自らの携帯電話を照那の前に差し出し、その画面を見せた。

それはスポーツニュースの記事で、日本代表チームが勝利したという内容だった。チームの選手たちが喜びを分かち合う写真が添えられており、見出しには『日本代表、劇的勝利で準決勝進出!』と書かれていた。
「それがどう関係あんの?」
「……駅のホームで、人が死ぬ瞬間の光景の中で、これと同じ内容の号外新聞を持っている人が何人か近くにいたの」
「その……死んでしまうって人はどんな人?」
「若いサラリーマン風の男の人で、グリーンとブラウン色のストライプ柄のネクタイをしてた」
「なるほど……」

千春が述べる事柄は具体性を帯びており、嘘だと一蹴するのは迂闊だと感じる。

そして躊躇してから、照那は質問を続ける。
「……その人はどんな風に死ぬ?」
「列車との衝突事故……いわゆる飛び込み自殺」

駅と聞いた時から、なんとなく見当はついていた。
「同じ号外を持っている人が複数いたってことは、その駅の近くで配られた可能性が高いんじゃないかな。他に何か手掛かりは?」

照那の問いに、千春は小さく唸りながら考え込んだのちに答えた。
「遠くの方に白い塔みたいなのが見えた」
「白い塔……」

号外が配られるような、人足の多い主要駅。ホームから見える白い塔。

すぐには思いつかない。
「それが起こる時間帯は?」
「正確な時間はわからないけど、かなり陽は沈んでたかな」
「日没までは、たぶんあと一時間ほど……。日暮れ頃に起こるのだとしたら、もうほとんど時間はない」

しらみ潰しに探している余裕はない。

──白い塔。

この都市部で、そう目立つ塔がいくつもあるとは思えない。照那は記憶の中を探る。
「煙突……あっ」

照那はそう小さく呟くと、脚を止めてペダルから足を離して、自転車を道の傍に止める。急いで携帯電話を取り出し、インターネットで検索を始める。
「阿形が見た塔ってこれじゃない?」

照那は検索結果に表示された画像を千春に見せる。
「それ。その白い塔!」

それは東陽島清掃工場に備えられた煙突。繁華街地域にあることから、周辺への排煙の影響を避けるために二百メートルを越える高層に設計され、都市部の景観を損ねないように煙突らしからぬ美しいデザインとなっている。
「全部の条件が合わさる駅は一つだけ。さすがに自転車で行ける距離じゃないから電車で向かおう。どの駅から向かえばいいか調べる」

照那が地図アプリを用いて、ルートを調べようとしていると、千春は立てかけた自転車のハンドルを握りペダルに足を乗せて準備をする。

「自然ヶ丘駅から特別急行に乗れば、20分程度で目的の駅に着く」
「……乗ってちょうだい」

千春の指示に従って、今度は照那が後ろに腰掛ける。すぐに千春は自転車を漕ぎ進める。ペダルを強く踏み込むのを感じた。

駅までの道の途中は僅かに傾斜のある道となっている。

全身の筋肉を駆使して自転車を前に進める千春の姿は、まるで命がけで目的地に向かっているかのようだった。路面の振動が伝わり、照那の体も揺れる。空気の抵抗で前髪が乱れる。

千春は速度を落とさないように必死に漕ぎ続けた。周囲の景色が流れるように見えた。

時間との戦いの中で、千春は呼吸を乱しながら猛然と漕ぎ続ける。照那はその様子を見守るしかなかった。

そんな懸命な千春の姿を見て、彼女の言葉を半信半疑に受け止めていたはずの自分の心が揺れ動いていくのを照那は感じていた。訝しむより今は彼女を信じる方が正しいのかもしれないと、そう思った。
「特急電車が出るまであと二分……」

照那が携帯電話で時刻表を確認する。

それを聞いて、千春はペダルを踏む足に更に力を込める。時折バランスを崩しそうになりながらも、ペースを緩めることなく突き進む。

ようやく駅の入り口が見えた。千春は自転車を急停止させ、二人はそのまま駆け出して改札を通り抜ける。周囲を見渡し、特急電車に乗るホームへと続く階段を見つけた。
「早く!」

階段を駆け上がる途中で、電車が到着する音が聞こえてくる。

千春は体力が限界に達してしまったのか、その足取りが遅くなる。崩れるように手摺りにもたれかかる。
「ごめん……なさい。先に行って!」

酷く呼吸を乱しながら、絞り出すように言った。

迷っている暇はない。照那は千春を置いて階段を上っていく。

照那は間一髪ドアが閉まる前に電車へと乗り込んだ。ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。照那は肩で息をしながら、ようやく一息つくことができた。

目的の駅に着くまでの二十分間、これから起こるかもしれない出来事に備えながら、心の中で思いを巡らせていた。

どこかで誰かが命を落とすかもしれない。もしも本当に、全てが道筋を決められているのだとて、自分達がそんな簡単に何かを変えられるのだろうか。

もしも死が定められたものだとして、それに抗うことができるのか。そもそも本当に阿形千春の見る予知夢とやらが本当に現実となるのか。

照那の心の中には、さまざまな疑念と不安が渦巻いていた。しかし、千春の必死な姿を見て、今は彼女を信じて行動するしかないと思い直した。

電車が駅に到着すると照那はすぐにホームに降り立つ。ここは地下鉄なので、今いる場所は予言の場所ではない。駅名は同じだが別の鉄道会社の駅であり、この地下鉄の駅と目的の駅までは少し距離がある。

息を切らしながら目的の駅へと急ぐ。携帯電話の画面に表示された時計を何度も見る。人混みをかき分けるように走り抜けていく。

数分かけてようやく例の駅へと辿り着く。改札を抜けた瞬間、脚が止まった。

この駅は複数の路線が通っているのだ。ひとまず目の前の階段を上がる。

乗り場に着くと、号外新聞を持っている人々の姿が、千春の言った通りホームにちらほら見える。しかしすぐにここではないことに気がつく。照那が降りたプラットホームには転落防止のためのホームドアが設置されているのだ。

この駅は八つの鉄道路線が乗り入れている。ホームドアが設置されていない場所があるかもしれない。焦りが心臓を締め付けるのを感じながら、周囲を見渡す。

──八番ホームだ。八番ホームにだけホームドアが設けられていない。

照那は早急に階段を下り通路を抜け、八番ホームに繋がる階段を走って上る。その途中、千春が言っていた白い塔──例の煙突が、屋根のない箇所から見えた。

千春の言葉が現実である可能性が高まる中、照那の心拍はさらに速くなる。

──若いサラリーマン風の男の人で、グリーンとブラウン色のストライプ柄のネクタイをしてた。

春が告げたその特徴を頭に叩き込み、目を凝らして見回す。しかし見つからない。
『まもなく、八番線に電車がまいります──』

列車の接近を知らせるアナウンスが流れる。

焦燥と不安に襲われる。

落ち着いて考えろ。照那は自分をなだめるように言い聞かせる。

自分だったらどうするか。飛び込んで、確実に死にたいなら?

一瞬で死ぬための速度。最もスピードが出ているのは恐らくホームに進入した時。つまりは電車が入構するホームの端寄り。

すぐにその方向へ駆ける。遠くから列車の轟音が聞こえ始める。線路の先で列車のヘッドライトが光り、薄暗闇を裂きながらこちらへ迫ってくる。巨大な鉄の塊を乗せた車輪がレールを擦り、けたたましい音が響く。

列車が連れてきた強い風が一気に吹き抜ける。先頭車両がホームへと進入する。

もう──間に合わない。

そう思った途端、探していた青年が照那の視界に映った。

意識が奇妙なほどにクリアになって、時間がゆっくりと流れていくように感じた。光の中に浮かぶ埃の一粒一粒が宙に静止する。

迫る車両。ホームから身を投げ出した青年。

鈍い衝突音。

青年は一瞬にして人の形を失う。

耳をつんざくような警笛。甲高い急ブレーキ音。人々の乱れ飛ぶ悲鳴。心臓が凍りつくような気分がした。胃の底から不快なものが込み上げる感覚がした。

全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。映像が途切れるように視界が暗転する。

「ねえ。大丈夫?」

千春の声が聞こえて、遠ざかっていた意識が少しずつはっきりとしていく。照那はいつの間にかホームのベンチに座っている。千春が目の前で身を屈めて照那の顔を覗き込む。
「阿形……」

──私はどうしてここにいるんだっけ。

そんな問いが頭の中でこだました。これまでの記憶が霧がかかったようにぼやけている。まるで夢の中にでもいるような感覚。

周囲の異様なざわめき。ホームの途中で停止する電車。前方がブルーシートで覆われ、その向こうで駅員や救急隊員が慌ただしく動いている。

──そうだ。ついさっき目の前で人が死んだのだ。

事故の現場を覆うはずのブルーシートは、却って無神経な野次馬を引き寄せていた。携帯電話を片手に集まり、無遠慮にカメラを向ける人達。あろうことかブルーシートの隙間から、内側を撮影しているような輩までいる。彼らにとっては、凄惨な人の死さえ、好奇心を刺激する娯楽であるかのようだった。
「やっぱ、変わんない……か」

立ち上がった千春が俯きながら無気力に呟く。ふいに胸が詰まる。
「阿形……ごめん」

小さく震えた声がかすかに千春の耳に届いた。千春は顔を少しだけ振り向けて、すぐに視線をブルーシートに移した。
「……謝ることじゃないよ。これが現実なの。私たちにできることなんて限られてる」

千春の声は冷静だったが、その中にはどうしようもない無力感が滲んでいた。照那は言葉を失い、ただそこで黙っているしかなかった。胸の奥で、何かが重く沈んでいくような感覚が広がっていた。

千春の予言は本物だった。信じていなかったわけじゃない。何もできなかった無力さ、目の前で起きた悲劇の残酷さ、その両方が自分の心を締めつけていた。
「こういうのを何度も……何度も見てきた。予知夢を見るたびに、いつも何とかしようとするけど……結局、何も変えられないの」

千春の背中は、まるで一人で全ての悲しみを背負っているように見えた。そんな姿を見て、何か言葉をかけようと必死に言葉を探す。千春の孤独を、その苦しみを、照那は痛いほどに理解できた。
「阿形。……私は、もう死んだっていいって、ずっとそう思いながら生きてきた…………けど」

照那の声が震える。少し息をついて言葉を継いだ。
「怖いね。……死ぬのって」
「…………そうだね」

駅を後にした二人は、特に目的もなく街をさまよい歩いた。二人の間にはまだ言葉がなかったが、その静けさが不思議と心地よかった。

そうして気がつくと公園へとたどり着いていた。そこは通常の公園のような砂地や敷石の地面ではなく、青々とした芝生が広がっている。街灯がほのかに芝生を照らし出し、一面に広がる緑が優しい光を受けて輝いていた。足元の芝生を踏むたびに伝うふわりとした感触が心地よかった。

千春は芝生の上に腰を下ろすと、そのまま空を仰ぐようにゆっくりと寝そべった。照那も千春の隣にそっと腰を下ろす。柔らかな芝生が体を優しく包み込む。見上げた夜空には星がちらちらと瞬き、澄んだ空気が心に染み込むようだった。

照那は深く息を吸い込む。冷たい夜風が頬をかすめ、静かな自然の匂いが鼻をくすぐる。その瞬間、ふと胸の奥に染み込むように〝生きている〟という感覚がよみがえってきた。

いつからか忘れていた。こうした何気ない瞬間が人生を豊かに彩るということを。一度は終わりにしようとしたはずの命。それでもまだ呼吸をしている。それ自体が奇跡のようにすら思えた。
「これからどうする?」と、照那は夜空を見上げたまま、ぽつりと問いかけた。

千春はしばらく黙っていたが、夜風の音だけが聞こえる中で、ようやく口を開いた。
「あらかじめ決まっている筋書きをなぞるみたいに、人が死んでいく。私はその流れに逆らいたかった。そう思ってたの」
「今は違う?」

照那は千春の方を見ながら質問する。
「たとえば、今日死んだ人……。きっとなにか人生を辞めてしまいたくなるようなことがあったんだろうって。楽になる方法はそれしかないって、そうとしか考えられないくらい追い詰められていたと思うの」

照那は、そういう人間の心情を手に取るように理解できた。かつての自分自身がそうだったからだ。
「私も……死ぬことが救いだって思ってた。あのまま死んでたって、あの時の自分にとっては幸せだったかもしれない」
「……そんな決意を他人の私が変えてしまおうとすることが、そもそも違うんじゃないかなって、そう思ってしまう時がある」

千春は瞼を下ろして、静かに言葉を選ぶように続けた。
「死んでもいい人間なんていないって、そんなことわかってるんだけどね」

照那は黙って千春の言葉を受け止めた。彼女のその優しさが胸を衝いた。もしかするとあの時の千春には、照那を救おうだとかそんなつもりはなかったのかもしれないけれど。

照那の脳裏に、あの日の光景が蘇る。

──ありがとう。君のおかげで、私は少し救われた。

それがどんな意図だったのか、照那は少しだけわかったような気がした。
「阿形。少なくとも私は、あなたに救われた」

照那のその言葉に、千春は少し驚いたように目を見張る。視線が宙をさまよう。そして、おずおずと手を伸ばし、やがて照那の手に触れる。千春の冷たくて細い指の感触が皮膚を伝う。照那は戸惑いながらも、応えるように手を握る。千春のその手は微かに震えてるのを感じた。
「阿形──」
「千春。……千春って呼んで」

遮るように千春がそう言った。
「…………千春……」

照那が千春の望むままに名前を呼ぶと、千春は満足気に笑みを浮かべた。いつもの大人びた雰囲気とは違う、どこか無邪気さが混じった笑顔だった。

再び千春は夜空を見上げる。照那も同じように横たわり空を仰いだ。

芝生の柔らかな感触。髪を撫でる心地よい夜風。互いの体温。時が止まったかのような安らぎを感じていた。

翌る日の放課後。千春に呼び出された照那は、また自転車の後ろに千春を乗せ、学校から離れた道を走っていた。千春が照那の背中にしっかりと寄りかかり、軽やかな風が二人の髪を揺らしている。
「ふぁ……」

照那が大きく欠伸をする。
「昨日はよく眠れた?」

千春が訊ねると、照那は苦笑しながら答えた。
「あんなことがあってよく眠れてたまるか」
「だよね。ごめんね」

謝ってはいるがどこか軽やかだった。照那自身も特に迷惑には思っておらず、むしろ一人でいるよりも気が楽だった。
まあ、今日はすぐ終わると思うから」

昨日と違ってどこか余裕のある態度だった。そんな千春を見てなんとなく安堵する。

そうしてしばらく自転車を走らせた。
「あのさ、」

照那がぽつりと口を開く。
「千春はちゃんと寝てんの?」
「うーん。まあ、それなりに?」
「予知夢って……人が死ぬところを見るわけでしょ? 眠ったらそれを見るってわかってたら……私なら怖くて眠れない」

ハンドルを握る手が強張る。千春は少し考え込んでから静かに口を開いた。
「すごく怖い。けど、もう慣れちゃった」
千春の声には諦めのような響きが混じっていた。
「いつから夢を?」
「一年ちょっと前くらいかなぁ」
「一年……か……」

照那の頭に浮かんだのは、昨年亡くなった友人のこと。

彼女がどうして死んだのか、今となってはわからない。誰かに殺されたのか、自ら命を絶ったのか。

──千春は彼女の夢も見たのだろうか?

そう考えた途端、心臓が跳ねる感覚がした。照那はしばらく黙って考え込んだ。それを千春に訊ねる勇気がどうしてか湧かなかった。
「一年前……私の友達も、その頃に亡くなったんだ」
「……そう……。つらかったね」
千春は傷跡を労わるような優しい声でそう言った。
「今でも夢に見る。その子が死ぬ夢」
「どんな?」

千春の問いに、照那は言葉を詰まらせる。前を見据える瞳が揺れる。
「誰かに殺される夢。それも色んな殺され方で。……本当はどうやって死んだのか……私はなにも知らないけどさ」
「…………照那は、それを知りたいと思う?」
「……知りたい」
「どうして?」
「……どうしてだろう。知ったって、なんの意味もないはずなのに」

照那がそう答えると、千春はしばらく黙ったまま、照那の背中に寄りかかっていた。彼女の腕が照那の背中に軽く触れているのを感じながら、照那は自分の中で渦巻く感情を整理しようとしていたが、うまくいかない。

──幸せになりなよ。

思考を遮るように、唐突に彼女の言葉が脳裏に浮かんだ。照那はそっと息を呑んだ。

彼女の言葉の意味が、意図が、今でもわからない。

照那はブレーキを軽く握り、自転車を止めた。信号機の赤いランプが目の前で静かに灯っている。風が一瞬だけ止んだかのように、辺りがひっそりとした。

そして千春が沈黙を破った。
「もしも本当に誰かに殺されたんだとしたら?」
「そいつを殺す」

照那の答えは即答だった。言葉には鋭い決意が滲んでいて、千春は一瞬驚いたようにその背中を見つめた。
「ふふ、冗談」

照那が付け加えた〝冗談〟は、どこか軽い調子で投げかけられたが、その言葉に本当の軽さは感じられなかった。千春は少しだけ微笑み混じりに言葉を返す。
「本当に殺すなら私も手伝ってあげる」

その言葉に照那は苦笑する。

犯人を殺してやりたいというのは本音だった。しかし、そんなことは許されない。それは犯人と同じ人殺しに成り下がる。

それでも、悲しみは、怒りは、どうすることもできない。千春の言葉は、彼女なりの優しさだと理解できた。
「ありがとう」

照那はそう言いながら優しく微笑む。信号が青に変わり、二人を乗せた自転車がゆっくりと動き出す。風が再び吹き始め、二人の髪を揺らした。

照那は考える。もしも──千春が彼女の死を予知していたとすれば、それを変えられた可能性がどこかにあったのかもしれない。

そんなたらればを妄想して、悔いてもなんにもならない。考えるだけ無駄だ。照那は思考を振り払うように気を取り直して言った。
「今日探してんのはどういう人?」
「中学生くらいの女の子で、入院してるみたいなの」
「中学生か……。……それで、どうやって?」
「落下死。……病室の窓から」

照那は言葉を飲み込み、しばらく黙って自転車を漕ぎ進めた。中学生の女の子が命を落とす光景を想像すると、胸が締めつけられる。
「そういえば、なんでどこの病院かわかってんの?」
「去年にね、その病院に行ったの。夢を見て」

千春が照那の背中に寄りかかる感覚が、どこか重く感じられた。照那は思わず千春を振り返ろうとしたが、慌てて視線を前に戻した。
「その時に夢で見たのは男の子で、入院してたの。同じ病院に」
「なるほど……」

千春がその男の子を救えなかったことを悔いているというのが、語らずともわかった。

同じ病院の夢を見たということを知り、説明のつかない運命に引き寄せられているような気がしてしまう。

なにかを変えられるかもしれないという微かな望みを胸に、少しでも早く辿り着こうと自転車を漕ぐ速度が自然と速くなった。

風を切る音と、自転車の車輪が舗装路を滑る音だけが、沈黙する二人の空間を満たしていた。

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